平昌オリンピックのフィギアスケート男子で羽生結弦選手選手が金メダルを獲りましたね!
今回のオリンピックでは日本人第一号です。
銀メダルを宇野昌磨選手が獲得するなど、日本フィギア男子の好調ぶりを感じることができましたね。
銅メダルは、安藤美姫さんと噂になったハビエル・フェルナンデス選手でした。
競技の終了の際に、ファンの方が花などをリンクに投げますけど、羽生結弦選手の時って、プーさんなんですね。
プーさんリンクとなってます。
そこで、今回はいつからプーさんシャワーになったのか、またその理由や回収した後どうなるかなどを調べてみたいと思います。
もくじ
羽生結弦のプロフィール(身長・体重・経歴)
名前:羽生結弦(はにゅうゆずる)
生年月日:1994年12月7日
出身地:宮城県仙田市
身長:172CM
体重:57㎏
コーチ:ブライアン・オーサー
所属クラブ:全日本空輸
オリンピック2連覇の絶対王者である羽生選手はスケートを4歳からはじめてます。スポーツ選手の記事をよく見ますが、才能を開花させた選手ってたいてい小さいころ、しかも3歳から5歳くらいからスポーツをはじめてますよね~。あの泣き虫愛ちゃん福原愛選手だって3歳くらいからはじめて、日本を代表する卓球選手になってますしね~。現在は台湾イケメン卓球選手と結婚してお子さんも生まれて幸せそうです~。
天性の才能もあった羽生選手ですが、それにしてもオリンピック連覇とはスゴイです。
おめでとうございます。
羽生結弦選手のプーさんシャワーはいつから?
羽生結弦選手選手の間では、プーさんシャワーと呼ばれているようです。そこで、このプーさんシャワーっていつから投げ込まれるようになったのでしょうか。
調べた限りでは、どうやら2015年の世界選手権の頃よりこのプーさんシャワーが始まったようです。確かに、そのころから黄色い何かがリンクに投げ込まれていたような気がしますね~。あまり注意してみていないと、黄色い人形かな~くらいになってしまうますよね。
でも、今回の平昌オリンピックでのプーさんシャワーのプーさんの量ってかなりでしたよね。次から次へと投げ込まれていましたね。
プーさんではありませんが宇野昌磨選手のときには、花などそれほど投げ込まれていなかったと思います。なんかずいぶんだなーって思ってしまいました。
羽生結弦選手のプーさんシャワーがはじった理由と回収したその後ってどうなるの?
今回のオリンピックを観れば一目瞭然ですが、羽生選手と言えば、プーさんです。なぜプーさんなのでしょうか。
それは、もともと羽生選手がプーさん好きだったからです。
なので本来は花を投げるところをプーさんに変えてなげるようになったのです。
メンタル面が結果に大きく左右するのがスポーツです。羽生選手は、プーさんが好きな理由に「顔が安定しているから」とあげています。
どうやら、プーさんの顔をみていると安心するようなのです。
なので、メンタル面を守る意味でも、プーさんが好きなようです。
今回の平昌オリンピック会場では、タオルや被り物をしているファンも多くみられ、かなり定着してますね。投げられるグッツもタオルやテッシュカバーなども多くあります。
一種のイベントみたいなものになっているのかもしれませんね~。
矢沢栄吉さんんのライブでタオルと同じような感じでしょうか(笑)
ある種のライブ会場と化しているのかもしれませんね~。
そこで、回収した後はどうなるか。ですが
一度は羽生選手のもとに届けらるようです。ですが、投げ込まれたあれだけ大量のプーさんを保管することはできません。
ですので、所属するスケートクラブの子供たちにあげたりしているようです。
ファンとしては、一度は羽生選手のもとに自分の投げた応援の証プーさんがいってもらえたら満足ですよね~。ほんとは、自宅に保管してほしいのが本音でしょうが。プーさん部屋が出来てしまいますね(笑)
今回は、オリンピック2連覇を果たした羽生結弦選手のプーさんシャワーやその理由そしてその後について書いてみました。
まだまだ平昌オリンピックは続きます。
羽生選手に続いて金メダルを獲得する選手が出ることを希望してます。
頑張れ日本!
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
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